INTERVIEW #05
インタビュー
INTERVIEW #05
インタビュー
大好きな東北のためにJターン。誰もが自分らしく生きられる社会をめざして。
- 社名
- 株式会社manaby
- 氏名
- 小泉 晴香さん
学生時代に1年間休学し、ボランティアなどさまざまな形で福祉支援に携わってきた小泉さん。休学中に南三陸町での復興・創生インターンで地元住民の方々と接するうちに、「自分が本当にしたいことは何なのか」を深く考えるようになったといいます。そこで大きくなったのは家庭環境などの境遇によって暮らしの選択肢が狭められている方々の力になりたいという思い。大好きな東北のため、仙台を拠点に、福祉支援のあり方を模索しています。
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Q1. 現在の仕事内容を教えてください。
私が担当しているのは、障害のある方でも自分らしく働けるようサポートする就労継続支援で、企業での一般就労支援が困難な方を対象に、障害に合わせて働く機会や訓練の機会を提供しています。
就労継続支援には2種類あり、私が担当している「manaby CREATORS」は「就労継続支援B型」と呼ばれるものです。
「manaby CREATORS」では、独自開発のeラーニングで学びながら生産活動に取り組める機会を提供しています。生産活動には絵を描く、音楽を編集する、といったものがあり、ご本人の希望や心身の状態に合わせ一人ひとりのペースで働くことができます。生産活動に取り組んだ分の報酬として「工賃」が支払われます。 -
Q2. 部長としての役割とは?
当社はフランチャイズ展開をしており、事業所の開所に関心のある方からの相談に応じ、手続き面などのサポートをしながら支援の輪を広げていくという役割を担っています。
また、作品はWEBメディアnovalueで紹介したり、商品化して販売につなげたりしているのですが、利用者様が仕事のステップアップや働きやすいサービスの仕組みをつくっていくことも重要な役割だと感じています。
1年間休学してボランティア活動に専念
小泉さんは大学3年の1年間を休学し、ボランティア活動など自分の興味のある分野で活動していました。
初めの半年間は東京でフードバンクや貧困家庭の子ども向けの学習支援に携わり、その後の4カ月間はアフリカ・ウガンダで過ごしました。ストリートチルドレンを保護する施設での活動では、現地の食材を使って日本のお菓子を作って提供したり、手付かずになっていた敷地を畑にして食糧不足を解消するなど自ら企画を立ち上げ、支援の仕方を模索したといいます。
日本に戻ってきてからは復興庁主催の「復興・創生インターン」に参加し、1カ月間は南三陸に滞在。「地元企業が抱える課題を解決するため、担当した企業の従業員や地元の人々から話を聞いたり、一緒にインターンに参加した学生と意見交換したりと有意義な時間を過ごせた」と話してくれた小泉さん。南三陸に対する愛着があったからこそ同じ宮城県内にある仙台への移住も考えやすかったのだろう、と当時を振り返ります。
さまざまな個性を柔軟に受け入れられる強み
休学期間中にさまざまな人と触れ合う機会があったことで、それぞれが持つ個性を柔軟に受け入れられる下地を整えることができたと語る小泉さん。どんな状況にも臆さず対応することができるのは、学生時代の経験で得た自身の明確な強みとなっています。
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Q3. 就職活動をどのように進めましたか?
休学期間を終えてすぐに就職活動を始めました。南三陸でのインターンでは周囲の大人と話す機会が多く、「休学が終わったらどうするのか?」といった話題もよく上ったので、将来について考える時間にもなっていたように思います。
大学に戻ったのは大学3年の後期が始まる時期だったので、自分が本当にしたいことは何なのかを紙に書き出したり、友人に話を聞いてもらったりしながら、将来の方向性を模索するところから始めました。そこで気付いたのが、自分の原動力となっているのは家庭環境や障害などの自分で選ぶことができない境遇によって生き方を著しく制限されてしまう人たちの力になりたい、という根源的な気持ちです。それからは業界を絞らずに企業探しをしました。 -
Q4. 仙台への就職を希望していましたか?
最初は東京で就活をしていました。理由は企業の選択肢が多かったからです。
ただ、3月に東京ビッグサイトで開催された就活イベントに参加したとき、本当にたくさんの企業が集まっているのを見て地域間格差のようなものを感じてしまい、「私がいたいと思える地域で、したいことをしよう」という気持ちが強まりました。ベースにはやっぱり「東北が好き」という気持ちがあったからだと思います。そこで、地元・青森か、もしくは東北の中でも選択肢の多い仙台市かで考えるようになりました。
manabyは誰もが自分らしく働ける社会をつくることを目指し、障害をお持ちの方の選択肢を広げるという点で自分のやりたいこととマッチしていましたし、ベンチャー企業のため若手のうちから様々な経験をさせてもらえる環境があることも魅力で、求人情報を見付けてすぐ「ここがいい」と一本に決めて就職活動を行いました。 -
Q5. 内定が決まってからどんな準備をしましたか?
大学4年に進級してすぐの5月1日に内定をいただいたので、入社までかなり時間が空くことになりました。その間に何か勉強しておくことはありますか? と尋ねたところ、担当の方に「勉強はしなくていい。福祉については入社してから学ぶことができるから、学生のうちにしかできないことをめいっぱい経験して」と言われたことがとても印象に残っています。そこで、コマ数が足りず受けられなかった興味のある講義に出席したり、教員養成課程で実施される母校での教育実習に参加したり、南三陸で取材・ライティングのお手伝いをしたりしていました。
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Q6. 仙台に引っ越してきた時期・かかった費用はどれくらいでしたか?
仙台に引っ越してきたのは卒業式の翌日です。場所選びでは地下鉄沿線であること、浴室とトイレが別になっていること以外は特にこだわりなく、家賃が安いところで決めました。学生時代に東京、ウガンダ、南三陸などさまざまな土地に住んでいたため、引っ越しに対する心のハードルは普通の学生より低かったかも知れません。特にウガンダでの生活を経て、荷物が少なくても楽しく生きることができるということに気付いてからはあまり物を持たないようにしていたので、荷造りや荷運びの負担もそこまで大きくありませんでした。大手引越し業者は使わなかったので、引越し費用は10万円もかからなかったと思います。
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Q7. 仙台での暮らしについてどんなことを感じますか?
地元の五戸町や学生時代に住んでいた宇都宮市に比べると、運行本数が多い地下鉄があるというのはアクセスの面でとても便利だと感じました。かといって東京ほどの複雑さはなく、街全体がコンパクトにまとまっているので、車がなくてもどこにでも行けるという点でとても住みやすく感じます。プロ野球チームの本拠地でもあり、仕事帰りに観戦しに行けるのも、野球好きとしてはたまらなく魅力です。
仙台には社会人サークルやクラブが多く、共通の趣味を通して知り合いを作りやすい環境があるというのは、仙台に知り合いがいない私にはとても助かっています。
福祉サービスに関係ない趣味が仕事の糧になることも
古いものを長く大事に使うことが好きだという小泉さん。友人から引き出物としてもらった器を割ってしまったことがきっかけで、最近まで金継ぎ教室に通っていたといいます。習った通りに修復し、金継ぎの独特の風合いが増した器はますます愛着が湧きそうです。
今年の1月からは手話サークルにも参加。仕事にも生かせると精力的に学んでいます。
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Q8. 今後の目標や挑戦したいことがあれば教えてください。
現在携わっている事業は始まったばかりということもあり、体制づくりが喫緊の課題です。部長として経営会議に参加することも多いので、分からないことは勉強しつつ、利用者様に確実にサービスを提供できるようにしていくことが目標です。また、入社当時社員の方々の明るさや人を受け入れる姿勢に感銘を受けたので、私もどんな方に対してもウェルカムな気持ちで接するよう心がけていきたいです。
プライベート面だと、まずは車の運転に慣れること。ペーパードライバーを卒業して行動範囲を広げたり、キャンプや釣りなど自分の好きなときに行けるようになりたいと思っています。
企業情報
- 所在地
- 仙台市宮城野区榴岡1-6-30 ディーグランツ仙台ビル5階
- 従業員数
- 167名(2024年3月現在)
- 業種
- 就労移行支援
- 過去の採用実績
- 58名(2023年度)※ 2023年度は事業拡大にともなう人員増員のため、採用実績が多くなっております。
- 公式ホームページ
- https://manaby.co.jp/